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DR. アーサー・K・ウィーロック JR., K.カルデンバッハ

フェルメールの『デルフト眺望』と
彼の現実の光景

CopyrightDr. Arthur K. Wheelock Jr., K.Kaldenbach

1

フェルメールの『デルフト眺望』は、ひとつの街の壮麗なイメージであり、非常に迫真的であって、忘れがたいほどに平穏で並はずれているので、鑑賞者を驚か さずにはいない[1]。我々は、人々の活動で静けさが乱される前の、日曜の朝の街を 眺めているかのようである。河岸の近くで静かに佇み、会話を交わしている人々と、対 岸の土手の波止場を歩いている人々が、この風景の静けさを妨げることはない[2]。 街壁の後方では、東から注いでいる陽光が数々の門と橋を照らし出し、新教会の塔と 所狭しと並ぶ家々のオレンジ色のタイル屋根をとらえている。

ヨハネス フェルメール『デルフトの眺望』
Konink Kabinet van Schilderijen Mauritshuis inv.no.92
 

 初めてこの絵画を見る観賞者に与える衝撃は、トレ・ビュルガーの フェルメールに関する1886年の論文に最もよく表現されているだろう[3]。トレはマウリッツハイス 美術館を訪れた時に『デルフト眺望』を発見し、後に「この忘れがたいイメージが、 全くの無名だった画家の作品全ての再構成を試みるきっかけとなった」と書いている。  

 彼はさらにこう記している:「ハーグの美術館のなかで、この比類ない素晴らしい風景画は訪れる人々の足を止め、そして芸術家や絵画鑑識家達に強烈な印象を与えてい た。それは、波止場、古い門、様々な建物、庭壁、そして前景には運河と幾人 かの小さな人物像が描き込まれた、とある街の景観である。銀色の空と水の色調は フィリップス・コーニンクを想い起させる。突然差し込む光、色彩の強烈さ、ところど ころにみられる厚塗りされた絵の具の堅牢さ、超現実的であるが独特の効果、これら はレンブラントにも通ずるものがある[4]

 しかしトレは、『デルフト眺望』を見出した、あるいはその価値を認めた最初の 人物というわけではない。1822年にこの絵画がマウリッツハイス美術館のために購入 されたとき、セール・カタログではこの作品は、「寡作なこの巨匠による最も有名な 作品である;彼の描法は人がイメージしうるもののなかで最も大胆で力強く、芸に秀 でている」[5]と記されている。

 本論文の意図は、フェルメールのイメージの性質を調査し、彼の自然主義的な印 象を作り出した手法を、そして彼がいかにして地誌的風景を、トレ・ビュルガーや他 の人々が記述したように力強く大胆なものに変化させたのかを理解することである。 この絵画の大胆な性質とは、空に対する街並みの大胆なシルエット、建物の水面への 反射、そしてなによりも構図を集中させその空間を明確に描写する光の劇的な使用で ある。この場面は光に満たされているように見える。しかし実際は、画面奥の建物の みが直接陽の光によって照らされている。空の上層部を覆い隠す暗い雲が、近くの建 物の屋根と正面、運河と画面手前の人物に効果的に影をを落としている。

 フェルメールの絵画は、南から眺めたデルフトの街を表している。街の手前に広 がる港の向こう側には街壁が立ち、小さなケテル門のところで崩れている。この門に 並んで時計塔のある大きなスヒーダム門、橋、そして正面門に二つの塔のあるロッテ ルダム門がたっている。この地域から陸路及び水路がロッテルダム、スヒーダム、そ してデルフトハーフェンへと延びていたため、ここは17世紀のデルフトにとっては 重要な場所であった。1649年のブラウの『デルフトの市街図』、1675〜78年の大きな『デルフト絵地図』を含む当時の地図を見ると、港には 波止場で並ぶ船、さらにはスヒー川を下る船であふれている。

 しかしながら、フェルメールと同時代の人々にとっては、『デルフト眺望』の性 質は特に普通のものではなかったに違いない。その場所はただちに認識されたであろ うが、その風景の静けさはその場所特有のものではなかったであろう。フェルメール は、数多くの船を風景に描いているが、画面左の手前の小さな運送船と、画面右の造 船所に停泊している、大きめの二隻の鰊漁船以外は、すぐには判別できない[6]。他 の船は全て運河の対岸に停泊しており、フェルメールが船の色彩と質感を、隣接する波止場、街壁、建物のそれに似せているため、船は背景に溶け込んでしまってい る。明らかに、フェルメールはこの街の通商活動を差し置いて、デルフト独特の建築 的特徴に焦点を当てているのだ。

 問題は、フェルメールは港にある船の描写の場合のように、建物の描写も意識的に選択 していたのかどうか、ということである。この作品は地誌的に正確である と、一般的にいわれており、彼がこの正確なイメージをカメラ・オブスキュラと呼ばれる光学機 器を使用して作成したと推測されている。もちろん、古い地図や市街図とを綿密に見 比べてみれば、フェルメールが街の南側からの外観を入念に描きだしたという感じは 説得力がある。門や新教会の塔だけでなく、他の要素も識別できる。ヤン・ デ・ビスホップによる、街の南側街壁の前の、波止場沿いの景観のスケッチは、ス ヒーダム門とロッテルダム門の別方向からの景観を呈示している。この素描では、フェルメール作品においていくぶん不明瞭ではあるが、正確に描写されたスヒーダム門のすぐ左隣のケテル門の複雑な形状を理解することができる。フェルメールが見晴らし ている地点からは、橋のちょうど向こう側で 枝分かれする三つの運河を結ぶ建物の正面が見える。これは、スヒーダム門の右と左に明らかに見える。街壁の すぐ後のケテル通りにある建物のファサードは正確に描かれている。W.F. ウィーブ(W.F. Weve)氏による『カダストラーレ・ミヌート』(Kadastrale Minuut) (1830年頃)という古い地図を含むいくつかの資料から街の外観の再構成を行なうと、ほとんど 正確にフェルメールのイメージとつながる[7]。 暗い影を落とした円錐の 塔の後、画面中央左の遠景に見える多数の尖塔は旧教会のものである。これら全ての 建築物の要素は、正確に描写されているようである。にもかかわらず、以下に議論するように、古い地図 及び市街図との比較や、絵画自体の技術的調査により、フェルメー ルが絵画やイメージを際立たせるために、風景の描写にいくつかの補正を施したことがわかった。

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1.この記事は、フェルメールの絵画を分析しているウィーロックとフェルメールの時代とその後の背景に関する情報を提供したカルデンバック(Kaldenbach)の共同製作による。論文は、マウリッツハイス館長のDr.H.R.ホエティンクの寛大な協力がなければ作成されなかった。マウリッツハイスにおいて絵画の観察の手配は、F. J. M. JeheeとDrs. F. J. Duparcの親切な援助によって促進された。(戻る)

2.フェルメールは、、約15人の人物を絵画に登場させた。前景の6人の服装は、彼らの社会的地位を示している。ボートの横に立つ3人の市民の流行の衣裳から他の女性の白の襟と肩布のついたもっと簡素で地方っぽく、農民風の黒のスカートとジャケットまである。二人の女性の右横にいる男性は、フェルメールによって描かれた。衣裳に関する情報は、ハーグの衣裳博物館のM. de Jongの親切な提供による。(戻る)

3.W. Thore-Burger,"Van der Meer de Delft," Gazzete des Beaux-Arts, XXI, 1866, 297-330, 458-70, 543-75(戻る)

4.Ibid., 298(戻る)

5.S. J. Stinstra Sale, Amsterdam, May 27,1822,No. 112.Albert Blankert(Rob Ruurs 及び Willem L. van de Watering による助力を含む) "Vermeer of Delft", Oxford, 1978, 159 より引用。(戻る)

6.構図の焦点ではないが、正確に描かれた多種多様な船舶が構図に描写されている。漁船と運送船を含む帆船が表されている。左側の波止場に沿って、少なくとも四隻の帆船がある。橋の右には、人々と小さい商品の運送に使用されたであろう五隻の小さい引き船ある。三隻の船には、マストが見え、床屋のような三色のストライプが塗られ、様々な張力ではすに曲がっている。他の画家達による景観図は、似たようなマストを表している。[図27]引き紐は、マストにつけられたか、よい風が吹くときには、帆が張られる。前景の引き船は、より綿密である。低い船尾とかじが見え、船倉に赤と白のキャンパス地のテントのようなものがかかっているのが見える。右端には、二つか三つのいくらかデッキが平たいマストのある鰊漁船がある。マスト全てが絵の中に見えるわけではない。しかしないということは、船が造船所で作られている最中であることを示すのだろう。前のマストと中央のマストは、下げられた時、船尾の露天甲板の上で平行な甲板梁にのる。デッキと同じ高さの船体の中央に、長い鰊用網を海から引き上げる穴がかすかに見える。[図9]私達は、国立海洋美術館のロバート・フォーツマン氏及びこれらの船の情報に関し、J.プローグ氏に感謝する。オランダの船舶に関する更なる情報は、Irene de Groot and Robert Vortsman, "Sailing Ships" Maarssen, 1981及びJ. Ploeg, "Speurtocht naar haringbuizen," in Mededelingen van de Nederlandse Vereniging voor Zeevaartgeschiedenis, no.25, 1972 を参照のこと。(戻る)

7.丁度街壁の真上に小さな家々が立ち並んでいるのを見つけることができる。これらほとんどに、段つき切妻(?Stepped Gables)がある。左側の三軒は、現在のケテルストラートの6、8、10、または、4、6と8の位置にある。図5は、現在のファサードとフェルメールが描いた家々の対になった映写である。このスケッチは、フェルメールが正確さをもってこの辺りを描き出していることを示している。三つの小さな段つき切妻の右には、木があるために、見えない家がある。(現在の家は、白いファサードに'1670'の数字がある。)この右には、煙突のように突き出た切妻の一部が見える。そしてこの隣は、大きめの切妻である。これの隣は、ファサードが木で隠れているため屋根しか見えない。最後に、ファサードが運河に面している角の家が見える。濃い青の屋根は、ケテルストラートの我々側にある街壁のすぐ向こうの家と納屋のものである。(戻る)


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