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CopyrightDr. Arthur K. Wheelock Jr.,C.J.Kaldenbach
場面の写実性は、認識可能な形態だけでなく、これらの物の質感の忠実さから成っている。オレンジタイルや青いスレート、石、レンガ、建物 や橋のしっくい壁、葉をつけた木々、木製の船など、ラフな特徴をとらえる、驚くほど多様な効果。 フェルメールはこういったものを、ただ正確に線でなぞるように描くことは決して せず、物の感触が伝わるような多様な手法を用いている。
彼の最も成功した効果は、絵の左側に並ぶ赤タイル屋根である。ここで彼は、薄い赤茶色の絵具の層の上に沢山の赤と茶と青の点を のせて、粗 く壊れたような屋根の表面を描写している。これらの絵具の斑点は、下の絵具層と混じり合わされず、これらを並列させることで、点の不規則性が屋根の粗さを示すのに役立っている。この効果を拡大しているのは、フェルメールがタイル屋根の粗い感じをより高めるため、 画面表面から突き出ている小さな出っ張りを描き入れている。これらの出っ張 りは鉛白の絵具の大きな塊で、フェルメールがこの辺りの下地に使用し、そして屋根の下塗り用の薄赤色 の層と混ぜ合わせた。
こういった効果は、彼がタイル一つ一つの差異を少なくした、陽の照る屋根に 見られる効果とはまったく違っている。ここでは、フェルメールが厚く凸凹したサーモンピン クの絵具の層を用いてタイルの物質的な存在を強調しているが、比較的一定した表面がみとめられる。陽の照る屋根の厚塗り(インパスト)は、新教会の塔に おいてさらに際立って明白である。フェルメールは、でこぼこした鉛黄色(lead tin yellow)を厚く塗り、塔の陽の照る部分を盛り上げてつくってしまったかのようだ。ロッテルダム門の青い屋根は比較的なめらかで、点で描かれた白のハイライトで 表面に生命感を与えている。しかし煙突は、赤らんだ絵具の表面に白の塊が突き出して いる画面左の赤屋根に似たような手法で描かれている。
よく観察してみると、フェルメールがロッテルダム門の上に見える黄色い屋 根の色のところで気分を変えてる。すなわち彼は、新教会の部分の質感に似た濃い黄色を、遠方の屋根の上に用いられたサーモンピンク
の上に塗られている。
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画面右下に描かれた船では、異なった絵画技法が用いられている。ここでフェルメー ルは、船の質感を暗示しないようなハイライトをつけている。実際、分散したハイライトはたいていその下層の構造を強調するより、ぼかしてしまう。 この光は、水から船への揺らめくような光の反射を暗示する意図があるようだ。様々な黄土色、 灰色や白で塗られたこれらのハイライトは、赤タイル屋根に見られる斑点よりも広い範囲におよ び、より規則的な輪郭を備えている。この拡散された光の上に、フェルメー ルはより不透明な光を塗り、そのうちの何箇所は、乾ききらぬ層の上ににじ むように塗られている。 | |
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様々な手法を用いて質感や光の効果を表現することに対するフェルメールの興味は、イメージをできるだけ写実的なものにしようとする彼の意図を強調している。にもかかわらず、いくつかの絵画技法および構図の歪みや地形の補正は、フェルメールがプロファイルをつくる芸術家のように現実を模倣することを第一の目的とせず、芸術作品として効果的なイメージにしようとしていたことを示している。
前述したように、劇的な効果を与えるためにフェルメールは、街のシルエットを明るい空に強調している。彼は、画面手前の建物を暗くしただけでなく、その輪郭を人工的な工夫を使って引き立たせている。スヒーダム門の上に最もはっきりみられる数々の屋根のちょうど上の白い線である。中央奥でフェルメールはたくさんの屋根の線を一つの屋根を意味する水平な薄青い一本線で結んでいるが、これはこの状況の現実とは関係のないものである。絵の左側にある長く水平な建物は、確実に想像上の構造物であり、その当時の街に比較しうる建物は見つからない。[8]
これら全ての変更で、フェルメールは、建物の向きの平行性を強調することによって街の景観を簡略化しようとしている。この場所を1670年代半ばに作られた大きな『デルフトの絵地図』と比べると、その地形はフェルメールが示すよりも不規則であることがわかる。例えば、ロッテルダム門の二つの塔が、運河に投影している塔の投影の度合いは、フェルメールの作品の最右端の位置に見える
門を含んだヨシュア・デ・グレイフ(Joshua de Grave)の二枚の スケッチのなかに明確に見られる。遠近法を歪めること
でフェルメールは、門の角度を平らにした。この建物は事実上画面に直角であり、構図の中でその他のものと一貫させるために彼は、遠近法の消点が画面中央より少し左へくるように描かなければならなかった。直角な交わりは、ロッテルダム門に沿って成り立っているが、絵ではもっと左奥で結ばれている。つまり、フェルメールは、意識的に門の形を平たくしたはずなのである。
18世紀初めの地形図の画家A.ラーデマーケル(A.Rademaker)による同じ場所のペン素描は、興味深い比較を呈示してくれる。ラーデマーケルの眺めた位置は、フェルメールより若干近くて下になるとはいえ、他の点においては比較は可能である。しかし、場面の解釈に違いが見られる。彼の素描では、ロッテルダム門の隠れた部分が前に投影しており、それにより三次元的な構図が生み出されている。このような効果は、遠近法からきている部分もあり、建築的要素の詳細な描出のためでもあり、そしてこの門にかかる建物の影の効果のためでもある。この辺りを写生した他の画家のように、ラーデマーケルは、交互に並ぶレンガと薄い色の石で形成されたロッテルダム門の横に走る水平な線を強調している。ところが、フェルメールは、ゾーンの存在を移り変わる明るい色の絵の具の点で示しているだけである。興味深いことに、X線及び赤外線による絵の調査によると、フェルメールはまだ当初ロッテルダム門の二つの塔を明るい陽の光の下に描いていたことが明らかになった。[9] 彼のもともとの考案では、描かれた光と影の効果は、ラーデマーケルのスケッチに見られるものと共通しているのである。
『デルフト眺望』とラーデマーケルの素描との比較は、その他の違いをも明らかにする。後者において街の輪郭は、ぎざぎざしていて平らではない。建物はより高くより細くより隣接し合っている。C.プロンクによるスケッチに基づいた、18世紀中ごろの版画も似たような特徴が見られる。すなわち、細く、密接した建物でぎざぎざした街の輪郭。フェルメールは、街の外観を簡略化し調和するため、街の景観に数多くの修正を施している。都市の景観の水平の方向性を強調するため、彼は明らかに曲がった橋をまっすぐに伸ばしている。例えば、フェルメールの絵の橋と街の中からみた橋をあらわしたヨシュア・デ・グレイフの1695年の素描を比べてみるといいだろう。[10] フェルメールが橋の長さをも長くしたかどうかは定かではない。南側から見たほとんどの街の景観は、二つの門をフェルメールのものよりいくらか近い距離に置いている。しかし、何人かの画家は、絵の枠の中により多くの建物を表そうと望み、その場面を圧縮した。この景色の全ての地誌的景観図は、少しずつ異なっており、一つとしてその正確性においてあてになるものはない。ヘリット・トーレンブルグ(Gerrit
Toorenburgh)(1731ー1785)による正確で緻密なスケッチであっても新教会の位置が間違っているようである。
スヒーダム門の左後にある大きな武器倉庫は、非常に複雑な屋根の造りをしているにも関わらず、フェルメールは空間奥への集中を暗示していたであろう直角な交わりを取り除き、屋根を一貫した色で塗ることで、屋根の複雑性を少なくした。この部分のX線写真は、彼が、屋根をより三次元的な手法で描き入れてから、この手段に辿り着いたことを証明している。ロッテルダム門の場合は同様に、彼は当初屋根の一部分を強い陽の光を塗り入れて際立たせていた。[11]
最後に、新教会の塔は、強烈に照らし出されているのにもかかわらず、想像するよりも物理的に大きくはない。高さや幅は、別々の画家の視点によって様々に変化している。例えば、1750年のヤン・デ・バイヤー(Jan
de Beyer)(1703〜1780)によるピクチャレスクな景観においては、塔は極端に高い。にもかかわらず、絵画に比較した現存の建物の実際の寸法の比率をみると、その塔はフェルメールの作品よりやや幅が狭く、もしくはやや高い。その尖塔が1872年に焼け、いくらか高めのネオゴシックなものに取り替えられたにもかかわらず、基礎部のサイズは変わらず、この場所の現在の写真をもとにした正確な計算も可能である[12]。フェルメールは、前景の平面からの距離を強調するために、新教会の大きさを縮小したのかもしれない。その塔はそれが少しだけ大きい場合よりも構図の平行性によりうまく調和している。
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8.この横に長い建物は、細い塔のある醸造所”鸚鵡”(De Papegaey)の大きな裏屋を描いたものであろう。街壁の中のスペースが常に足りないためオランダの家々は、ときどき前と後ろに増築される。18330年頃作成されたカダストラーレ・ミヌートと呼ばれる地図においては、この建物の複合体は、ケテルストラートの角の家より五つ離れている。ブラウ(1649)による空の上から見下ろした(鳥瞰的な)地図[図2]及びこの地図のヤンソニウスによる(1650年頃)版には、運河から街壁に向かって延びているかなり大きな屋根が見えるためこのことを確証している。いくらか更に確信を持てるKaart Figuratief(?)(1675)においては、前の本家の屋根を裏屋の屋根より高く表わしている。これら全ての景観は、正確性でなく見せびらしが目的であったため、精密性に乏しい。下書きを制作した画家達は、十分に支払われず、ファサードの後ろの物事の形など気にしていなかった。(していられなかった。)少なめの数を決められた箇所にはめ込むため、家々は、系統だって大きめに描かれた。ラーデマーケルのスケッチは、裏屋を本家よりも低く示した。[図12]あまり確かでない他の選択種は、この大きな屋根を東インド会社の一部と考えることであろう。距離が、更に離れており、また細い塔は、東インド会社のものと一致しない。(戻る)
9.赤外線投影機を用いた『デルフト眺望』の観察は、Arthur Wheelock の協力を得てDr. J.R.J. van Asperen de Boerにより親切に引き受けて頂いた。フェルメールの絵画を観察するにあたっての投影機に関する短い論文は、Arthur K. Wheelock, JR., "Vermeer's Painting Techniques", Art Journal, XLI, no.2, 1981, 162-64を参照のこと。(戻る)
10.18世紀において、金属の柵のついた曲がった橋が描かれている。[図15]そして19世紀において、中央の尖った橋が見られる。(Jan Van Lexmond, "View of Delft", coll. Museum Simon van Gijn, Dordrecht参照のこと)フェルメールの構図の橋のアーチの上には、解読不可能な文字が刻まれた石がある。この場所の更なる景観図は、C.J. Kaldenbach による Delft III の中の"Gezicht op Delft in de 17 e en 18e eeuw"において出版されている。(リサーチ文献参照のこと)(戻る)
11.Arthur Wheelock による観察(戻る)
12.『デルフト眺望』の全体の幅(1175mm)と比べると、塔(約61ー62mm)は、だいたい幅の1/19を占めている。フェルメールの立っていた場所近くをとった今日の写真と比べると、フェルメールの塔は、二倍幅広い。これらの算出は、カルデンバック氏が、1981年にホーイカダ(?Hooikade)29の建物の三階から40mm広角レンズ(対角度57)で取った写真を基にして作成された。(戻る)
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