新教会の洗礼記録のあと、はじめてフェルメールに関する記録が現われるのは、1653年4月5日付けの宣誓文である。これは、彼と妻になろうとしているカタリナ・ボルネスの依頼により作成されたものだ。ここには、カタリナの母マリア・ティンズは、娘の連れ合いに賛成しなくても結婚に意義をとなえないということが記されている。この時の立会人の一人にレオナルト・ブラメールがいた。若い二人はブラメールが署名をした同日に市庁舎に赴き結婚公告を行なっている。
フェルメールが結婚公告をしたデルフトの市庁舎は、焼失後、ヘンドリック・デ・ケイセルによって1618年建て直された。中世に建立された部分で残ったのは、「石(の塔)」という名前でしられる高い四角い塔のみだ。塔の一部は牢獄として使われた。そのいくつかの房は今でも当時のままに保存されている。
ヘンドリック・デ・ケイセルは新しい市庁舎のファサードをルネッサンス様式にデザインした。死刑執行がある時には、「石(の塔)」から囚人を直接、市庁舎の前に組まれた足場へと連行できるよう、玄関扉の上にはポーチが設けられた。ファサードの上部にはホーラント州の紋章と剣と秤の象徴をかかげた正義の女神の彫像が見られる。
マウリッツ公の紋章は正義の像の真下にある。この市庁舎は、現在宮殿として使われているヤコプ・ファン・カンペンの建築によるアムステルダムの新しい市庁舎が完成するまで、北方ネーデルランドで最も美しい建築とみなされていた。