彼の妻はマグダレーナ・ファン・リュイフェンで、彼女はピーテル・カラースゾン・ファン・リュイフェンの娘でたった一人の相続人だった。この男は裕福なデルフト市民で、生前のフェルメールからたくさんの作品を直接購入していた。1682年にマグダレーナが亡くなるとコレクションは彼女の夫の手に渡った。彼の所有する絵画の目録が作成され、フェルメールの作品20点が含まれていたことがわかるが、それらの題名は記されていなかった。
1695年10月にヤコブ・ディシウスは亡くなると、6カ月後にはアムステルダムで競売が行なわれ、その際に絵画のコレクションも売却された。そのときコレクションには、マグダレーナの死後に作られた目録にあるより1点多い、21点のフェルメール作品が含まれていた。競売のカタログにはそれぞれの名前と説明が記されている。「デルフトの小道」「レースを編む少女」「デルフトの眺望」といった有名な作品が、マルクト広場32番地にあったヤコブ・ディシウスの家を飾っていたことが分かった。
この家の現在のファサードは19世紀初期に作られたもので、フェルメールの時代とは異なった様相になってしまった。