フェルメールの両親、レイニール・ヤンスゾーンとディーナ・バルテンスは1620年頃住まいを移した。
三本槌亭を貸家に出した1624年にどこかに移った可能性もあるが、1631年にはフォルデルスグラート(縮絨工運河)に住んでいたことが明らかになっている。彼らは狐が跳ねている様子の描かれた看板をかかげた宿屋兼居酒屋をそこに借りている。
フェルメールはおそらく空飛ぶ狐亭で生まれたものと思われるが、正確な日付けはさだかではない。レイニールは当時41才、ディーナは37才だった。2人は結婚してすでに7年経っていた。
空飛ぶ狐亭は三本槌亭よりも良い場所にあった。跡地からは暖炉が5つ見つかっているが、これは相当大きい家だったことを示している。そこはフォルデルスグラートの北側で現在25番地となっている。宿屋兼居酒屋はオウデマネンハイス(老人の家)の東側3軒目の家だった。モンティアス氏が著書の中で述べている2軒目というのは間違いで、これは1632年の納税の書類と1638年の暖炉の管理書類から明らかになった。