ヨハネス・フェルメールの「天文学者」「地理学者」のモデルではないかといわれている人物が、アントニー・ファン・レーウェンフックである。ファン・レーウェンフックは天文学の研究も行なっており、またこ描かれている学者の容貌は彼に似ていることなどから、そういわれている。また制作年代の当時の彼の年齢と、描かれた男の大体の年齢層も合致する。
ヨハネス・フェルメール「地理学者」,
Stadelsches Kunstinstitut,Frankfurt am Main.Photo:Brauel/Gnamn-Artothec
フェルメールが亡くなると、彼の妻のカタリナ・ボルネスにはたくさんの借金が残された。デルフトの行政委員はカタリナの件を管理する人物を選ばなくてはならなかった。そうして選ばれたのが、著名な物理学者アントニ・ファン・レーウェンフックだった。
彼は1660年以降デルフト市行政委員として会計官を務めており、その余暇に彼は顕微鏡の改良を行い、赤血球、バクテリア、精子を発見した。同時代の著名なデルフトの医師であったレイニール・デ・グラーフ(1641-73)は彼をロンドンの王立協会に紹介した。ファン・レーウェンフックは200通を越える書簡を通して顕微鏡による発見を王立協会に報告しつづけ、その結果1680年に協会の会員に迎えられた。
ファン・レーウェンフックのレンズへの関心と、フェルメールのカメラ・オブスキュラの使用は、2人の男が知己の仲であったことの証だともいわれる。もしそれが本当ならば、「天文学者」と「地理学者」に描かれているのはファン・レーウェンフックである可能性もある。彼は数学、海洋学、天文学も研究していたからだ。
ファン・レーウェンフックはイッポリトスブルト通りにある「ヘット・ホウデン・ホーフト(黄金の頭)」という名前の家を1654年に購入している。フェルメールの父親と親しくしていた風景画家ピーテル・フロネウェヘンも、1633年にここに住んでいた。ファン・レーウェンフックは、購入資金として5000ギルダーを借りなくてはならなかったので、彼は布商人になり、1階に布屋を開いた。
ファン・レーウェンフックは様々な発見をこの「黄金の頭の家」で行ない、また同じ家で国内外の様々な要人を客として迎えた。その中にはロシアのツァー、ピョートル大帝も含まれていた。
建物は後に取り壊され、現在の家は19世紀のものである。壁に取り付けられた銘板がこの場所を記念している。
壁に取り付けられた銘版