ヨハネス・フェルメールは1632年10月31日に新教会で洗礼を受けている。
新教会の洗礼記録に登録されたのは、クリスチャン・ネームの「ヨハネス」のみだった。「フェルメール」という名の由来は判っていない。
フェルメールの姉のヘルトライもやはり新教会で1620年3月15日に洗礼を受けている。新教会はフェルメール家の人々の洗礼の舞台となり、埋葬もここだった。フェルメールの父方の祖父ヤン・レイエルスゾーンは1597年5月2日に埋葬され、父親のレイニール・ヤンスゾーンは1652年の10月12日に、母親のディーナ・バルテンスは1670年の2月13日にそこに葬られた。
新教会は14世紀から15世紀にかけてマルクト広場の東の端に建てられた。ここは、1351年に聖母マリアが降臨してこの場所に教会を建てるよう呼びかけたといわれている。
初めは木造の小さな教会が建立されたが、石造りの内陣と翼廊の増築が1383年に始まった。12年後には鐘楼の基部が築かれ100年後に塔が完成した。最初は聖母マリアに捧げる教会だったが、1400年にはそれに聖ウルスラが加わった。
新教会内部
デルフト市が1572年にオラニエ公の味方につくと、教会はプロテスタントの礼拝の場に定められた。年月を経る中で教会は何度も危機にあった。
1536年の火事、1566年の偶像破壊運動、1654年の火薬庫爆発、そして1872年の落雷、それぞれの出来事が傷あとを残していった。
ウィレム沈黙公